知る喜びと消費される情報

こんにちは。高知尾です。今日から2周目となります。

リレーブログということで、前日の古宿さんのブログを受けて感じたことを書きます。

カミオカラボが主として扱っている分野では「役に立つ」成果はすぐには出ません。

その分、純粋な「知る喜び」を大事にして来館者とお話することができます。これはとってもワクワクすることです。
宇宙の誕生の謎とか我々は一体どこから来たのかといった未知の大海原を前に、今わかっていることを共有しつつ今考えられている説の可能性と魅力に来館者と共感できたときはこの上ない喜びです。

一方で自分の生活を振り返ってみると、最近「知る喜び」を経験したかなぁと不安になります。
特にここ数ヶ月、自分自身で何かに気がつき自ら調べて発見することが少なくなってはいないか...
ネット上では常に多くの情報がシェアされ、自分もそうした情報をシェアします。
何をしているときでも、上下左右から新しい情報が目の前にカット・インしてきます。
人間一日に処理できる情報は限られているので、シェアし、シェアされ、その情報だけでいっぱいになってしまいます。

今は緊急事態宣言が出されるような特殊な時期です。朝正しかった(であろう)情報が夕方には180度変わってしまうような状況です。
正確な情報の素早いシェアによって新しい関係性が生まれたり、行動変容につながったりと様々なメリットがあるでしょう。
でもそうやってシェアされた情報はすぐにまた過去の情報になってしまいます。

すぐには役に立たない情報は、その分だけ長く「知る喜び」を提供し続けてくれる気がします。
好奇心の赴くままに思考の旅に出る。
例えば、じっくりと本を読んでみる。その中で気になった部分をとことん調べてみる。
そんな時間も一日のうちにいくらかでも持っておきたいなと思いました。