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麻雀が好き

   こんにちは、スタッフの古宿です。今回は、私が10代の頃から趣味として長年楽しんでいる麻雀について書きたいと思います。ニュートリノや素粒子物理学とは全く関係ないと言われそうですが………。麻雀は競馬や競輪などと同様にギャンブルの一種として見られ、現在でもイメージは決してよくはありません。しかしながら、ゲーム性がとても複雑で面白く、ルールとマナーを習得すれば誰もが気軽に楽しめる最高の娯楽だと思っています。

 さて、麻雀は、スタート時における各プレーヤーの配牌の具合や次につもる(持ってくる)牌が何なのか見通せないなど、ゲーム進行に際して運と偶発性、不確定要素が常につきまといます。このため、実力差が勝負にほぼ100%反映される将棋や囲碁とは違い、全くの初心者が腕自慢にラッキーで勝つこともちょくちょくあります。

 麻雀のプロと呼ばれる人たちが必勝法などの戦略本を出していますが、その内容も昭和から平成、令和と時代を経る中で大きく様変わりしているようです。昭和中期ごろには、牌の流れ理論というのが流行しました。麻雀プロがこれまで積み重ねてきた経験則と独自のカンを頼りに、3種類の牌(マンズ、ソーズ、ピンズ)と字牌(東、南、西、北など)のうちどれがキー牌になるのかを1ゲームごとに判断し、それに沿った打牌を実践すればゲームの主導権を握ることができ、勝率もグンと高まるというものでした。
 現在では、「プレーヤーが次につもる牌が何なのかは完全に確率の問題。予測はあくまで確率の範囲内でのみ可能であり、牌の流れ理論などというのは偶然を必然にねじ曲げようとするオカルト打法だ」と否定する向きが大勢です。

 この違いを端的に言うと、麻雀というゲームに自身のスキルと感性を組み入れ、ロマンを追い求めようとするアナログ派と、先入観や思い込みを極力排し、確率にのっとった選択を継続しながらより期待値の高い上がりを狙うデジタル派との世代ギャップの差なのでしょう。個人的には合理的なデジタル派に分があるとは思いますが、予測困難な麻雀をどうにかしてコントロールしようと、じたばたするアナログ派の人間臭さにも多少は共感を覚えます。

 私の学生時代、小説家で麻雀の神様とも呼ばれた故色川武大氏はコラムの中で、「最初の配牌から複数の手役(上がり形)を瞬時に思い浮かべるイメージが豊富で、牌をつもって捨てる一連の所作(フォーム)が一定の人は麻雀が強い」と書かれていました。『時代を超えたすごい認識だなと』と、今もなお感銘を受けています。